国語の愛好度
給食アンケートをするときに、高学年に教科の愛好度を聞いてみました。選択肢は、次の4つ。大好き(毎日、やりたい)、好き(週に数回、やりたい)、少し苦手(週に1回くらいがよい)、苦手(できればやめてほしい)。衝撃的な結果が出ました。それは、国語についてです。国語は、5年生、6年生とも、大好き・好き派よりも、苦手・少し苦手派が多い結果でした。その理由を尋ねてみました。代表的な理由は、答えがはっきりしないから。算数は答えがはっきりしていて気持ちがよい。それに対して、国語、特に、物語りでの主人公の心情や作者の考えなど、答えがはっきりしていない。説明文などは、まだよい。というようなことを言う子どもが何人かいました。
さて、どうしたものでしょうか。人の心情、気持ち、考えは多様であるため、間違いのない正解というのはないのかもしれません。逆に言うと、それも正解、これも正解ということになります。正解がたくさんあることがだめなのでしょうか。寛大な心を持ってもらいたいものです。日常生活でも、相手の心情、気持ち、考えを想像したり、配慮する場面はたくさんあります。いろいろな正解があるということを、これまでに学んでいると思うのですが、どうなのでしょうか。これに関連して、少し気になることがあります。それは、道徳についてです。道徳は答えがわかると言う子どもがいました。その発言が、実は、気になっています。道徳ではわかりやすいように教材を提供しているからでしょうか。勧善懲悪のような。ただ、正解はひとつというメッセージを送っているわけではありません。全く正反対の考えということにはならないと思いますが、心情、気持ち、考えにはある程度の幅があると思います。その幅がなくなって、答えはひとつということはないと思うのです。それと同じように、道徳に正解がある、道徳は正解探し、というのは違うと思うのです。
この国語、道徳に関する課題について、まだ結論は得られていません。もう少し考えてみます。ただ、算数や理科などの自然科学の問題のように、人生にひとつの答え、ひとつの正解というものがないのは確かです。両親や先生が喜ぶ人生を歩む必要はありません。むしろ、自分が喜ぶ人生を歩んでほしいと願います。それは、ひとつの正解ではないはずです。ひとつの正解しかない世界では、みんな、同じ人生を送ることになります。少し考えればわかりますが、有り得ない世界ですよね。おもしろくもありません。
AI先生に、「小学生が正解を求めたがるのはなぜですか?」と聞いてみました。AI先生の答えはこうです。①正しい答えが安心感をくれるから。(解説)小学生はまだ抽象的に考える力が育っている途中なので、正解がはっきりしていると安心できる。考えがゆらぐより、確実な答えがある方が気持ちが落ち着く。②学校の学びが正解を出すことが多いから。(解説)学校では、一つの正解を出す形式が多いため、答えはひとつ、正解があるはずと発想してしまう。③自分の考えにまだ自信が持てないから。(解説)自分の意見や想像で話すより、正解のあるものの方が安心して発言できる。④世界を白黒ではっきりさせたい年頃だから。(解説)小学生の間は、物事を良いと悪い、正しいと間違いと分ける方が理解しやすい。曖昧さに耐える力は、大人になるにつれて育つ。
AI先生の回答に、なるほどと思う回答とそうかなと思う回答がありますが、私は大人なので、耐えられます。どれが正解でどれが正解ではないと白黒つけたいとも思いません。あーね、と受け止められます。ただ、②については、多様な考え方があることを学校も伝えてますので、伝え方の工夫がまだまだ必要と感じている次第です。ちなみに、白黒思考は、気分が憂鬱になる原因となります。グレー思考の方が、精神衛生上よいことが多いのではないでしょうか。