見守るの解釈
長崎県のこども園を見学させていただき、今、行われている「見守る保育」について学びました。見守りということばは、比較的よく使いますが、人によって受け止め方が違うかもしれません。定義を明らかにしておきたいと思います。見守る保育とは、自分で発達する能力のある子どもを、自分で発達していけるように、環境を整えて、一人ひとりの子どもの発達過程をしっかりと見て、発達に応じた適切な援助を行い、子どもの育ちを守るものと、私は解釈しています。言い換えますと、子どもは自分で発達していく能力があるのだから、何かを教えようとする必要はない、そうではなくて、発達できる環境を整えて、発達に応じた適切な援助をすることで、子どもは発達、成長する。
子ども園では、具体的にどういう活動をしていたかを振り返ります。選択性の遊びがありました。具体的には、いすとりゲームと、積み木を大きくしたイメージのやわらかい玩具を積み上げてチームで競うツムツムというゲーム。子どもが選択する場面は見ることができませんでしたが、それぞれ自分がやりたいと思う遊びを選択したようです。これらの遊びにはルールがあります。そのルールをきちんと伝えます。子どもたちは、ルールの範囲内で、異年齢の子どもとも協力して楽しく遊んでいました。その中には、優しく伝える場面や応援する場面がありました。給食の様子も見せていただきました。子どもがおかずをもりつける係を担当します。係は、多めにしますか、少なめにしますかと質問し、給食を受け取る子どもたちに自分の意見を発話させます。早く食べたい子どもが早く食べに来て、そうでもない子どもは遊んでから食べに来るというように、給食でも自分の意思を尊重している印象を受けました。子どもたちだけでトラブルを解決する姿もありました。これは、ビデオで見せてもらいました。話ができるようなテーブルとイスが常備されています。子どもたちは自分の主張を強めのことばでしていました。ただ、それではトラブルは解決しません。途中で、お茶でも飲もうかという子どもがいて、その後、少し落ち着いて話をする姿がありました。ビデオでは、先生は子どもの話合いにはノータッチでした。きっと、遠巻きに見守りをして、トラブルが解決できたかを、後から確認していたのでしょう。
今回の子ども園の見学では、いろいろと考えさせられました。子ども園の職員の意見も様々で、大切にしている部分が違ったり、熱量が違ったりと、すんなり意見がまとまることはないと想像しますが、大切なことは、子ども園の方向性を明確に示し、職員のベクトルを合わせること。不満を抱えたままの保育は、子どもに悪影響を与えます。理想的には、不満が解消できるまで協議することですが、時間は有限です。民主的な協議を十分に行いながら、締め切りが来たときは、それまでの協議を踏まえて、方向性を打ち出す必要があります。今の見守る保育の形は、これまでの話合いや試行錯誤により確立したものと思いますが、まだまだ発展していきそうで、わくわくしますね。
こども園の見学を通じて、小学校でも、子どもが自ら発達できるように、環境を整えること、発達に応じた適切な援助を行うことを、改めて意識していきたいと感じました。お膳立てが過ぎると、子どもが自ら発達する機会を奪ってしまいますので。