251111 <野津原郁々堂>
11月11日、野津原小学校6年生と野津原中学校1年生は、『野津原郁々堂』という活動を行い、野津原の遺産と歴史を確認しながら、たくさんの学びをする機会に恵まれました。まず、「郁々堂」という名前は、江戸時代末期から明治時代初期の11年間、肥後藩により野津原に開講された学校の名前だそうです。この野津原郁々堂の活動は、野津原公民館が行ってくれている活動です。ありがとうございます。
今日は、野津原の地を歩き、たくさんの学びがあったと実感しました。まず、知らなかったのは、参勤交代のルートです。肥後熊本から大分鶴崎まで124kmまでを4泊5日、その後、海路で大阪に至り、東海道を使って江戸まで行ったそうです。全部陸路で行っていたと思い込んでいました。参勤交代は、6年生が、最近、社会で学んでいました。何かあったときのために江戸に向かう予行演習と、大名の経済力を弱める目的があったとのこと。そういう考えのもと、参勤交代制度を作った人がいたこと、学ぶことがあると感じました。また、野津原は、その当時、加藤清正公が治めていた肥後藩(すなわち、今の熊本県)の飛び地であったこと、加藤清正公が36年治めた後、細川氏が200年以上治めたにも関わらず、ここ野津原の地には加藤清正公が祀られていること、たくさんの学びがありました。明治初期に起こった廃仏毀釈の運動に際し、加藤清正公は神であるとして、建物を守ったこと、お寺を再建するために、野津原の人々が大きな協力をしたこと、こういう機転や歴史からも、学ぶことがありました。ボランティアガイドさんは、非常に詳しく説明してくださいました。子どもたちの中には、話をよく聞いてとてもよく記憶できている子どももいました。このような歴史の話は、大人はとても興味深く聞き入る傾向にあると思います。その理由は、今までに得た知識や経験などが、歴史の話ともつながるからだと思います。大人はジグゾーパズルがかなりできあがっていて、歴史の話がピースとしておさまるイメージです。一方、子どもたちは、今を生きるのに一生懸命なため、まだ、歴史に興味を示さないかもしれません。ジグゾーパズルもほとんどできあがっていないので、ピースをどこに入れればよいかもよくわかりません。でも、大人になれば、きっと、歴史の話も興味深く聞くようになると思います。最後に子どもたちに伝えたことは次のとおりです。昔は、誰もが勉強できたかというとそうではなく、今は、誰もが勉強できる時代であり、そういう良き時代に生まれた小学生、中学生のみなさんには、大いに学んでほしいと願います。



